第9回「いじめ・自殺防止作文・ポスター・標語・ゆるキャラ・楽曲」コンテスト
 作文部門・最優秀賞受賞作品
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  『 このままでいい』
        


                                         棚倉中学校三年 原 学志

 私は知的障害者で今思うと私はクラスに偏見をもっていたのでしょう。
私が小学五年生の時です。
その時の私は「知的障害者」というのをコンプレックスに思い込んでいました。
たとえぼ「このままで本当にいいのかな」とか「私は障害者だ」とか思っていました。
そのコンプレックスのせいで、暴れたり自傷行為を頻繁にしたりととにかく大変でした。
それでさらにそのコンプレックスを深くする出来事がありました。
私が小学五年生で冬休みの時でした。
その時私に遠い友達が出来ました。
その男の子は私と趣味が合って笑い合っていました。
それでその男の子と友達になってから一か月後「お泊りへ招待します」とメールが入り私はうきうきしていたのです。
同じ「障害者」として友達になるのを楽しみにしていましたが、そのお泊りで私の人生は九十度変わったのです。
私がその友達と一緒にバスで行ってそれから寒々しい小さな家のような所に来ました。
その後他にも友達が出来ました。
皆と笑い合っていましたが、その友達たちがいつしかいじめをしたのです。
しかも趣味が合った友達にも罵倒されました。
今思えばその三日間の中で私はずっと苦しめられていたのでしょう。
それに大人たちも相談しましたが、真剣には取り合ってくれませんでした。
だから私は思わず「正当防衛」で殴ってしまいましたが、それでもやめてくれませんでした。
そしてさらに皆寝袋があるのに私一人だけ用意されませんでした。
私はこう思いました。
「聞いた話と違う」と話によれば寝袋がなくても「準備する」と言っていたのに準備もしてくれませんでした。
大人に聞いても「いやしらんし」と言うばかりでした。
そしてその夜は凍えながら体をまるめて寝ました。
その時はまるで「虐待されてる子供」のようでした。
とにかく辛かったです。
その後帰りましたが、楽しいことは何一つ私の記憶の中ではないに等しかったです。
そして更にその後私はいっぱい暴れました。
暴れているときにこう叫びました。
「私は障害者だ」とか「死にたい」とか叫んでいました。
それでその一年後私が変わることはありませんでした。
それで時は進み中学一年生の冬の時です。
その時明るい男の先生とちょっとおっちょこちょいな女の先生に出会いました。
その時です。
私は好きなものを沢山その女の先生に見つけてもらいました。
その時私は回ってなかった「歯車」が回り始めたのです。
最初に得意なことを見つけてもらったのが「
格言」です。
はっきり言えば「格言を書く」というのが正しいのでしょう。
格言をいっぱいいつしか千枚以上になっていました。
それで男の先生にはこう言われました。
「お前はもうちょっと自分に優しくなってもいいんじゃねえの」とそしてあるとき私はこんな言葉を投げかけました。
「私はこのままでもいいんでしょうか」とそしたらその男の先生が言ってくれました。
「いやお前はそのままでいいんだ無理に変わる必要もないしそのままでいいんじゃねえの」と言われた時、回っていなかったもう一つの
「歯車」が回り始めた瞬間でした。
それで私は少しずつ変わり始めました。
それで格言を書き始めてから二年が経ちました。
その時今もそうである中学三年生になりました。
その時ある転機が訪れました。
なんと町長が棚倉中学校に勉強の見学に訪れました。
その時貼ってあった私の格言を見て「すごいな」と感心していました。
それでその後のことです。
驚くべきことに町長が福島県の内堀知事にこう言ったらしいです。
「棚倉中学校に素晴らしい格言を書く少年がいる」とそうしたら内堀知事が「じゃあ行ってみようかな」という感じで棚倉中学校に来ることになり私は聞かされた時とても驚きました。
それで内堀知事が来るので急いでその二つの格言を書きました。
それで知事が来ました。
その時私は知事に二つ折りの色紙の格言と普通の色紙に書いた格言を渡しました。
その時知事はとても喜んでいました。
それで知事が言いました。
「じゃあ三人で写真を撮りましょうか」とそれで私を真ん中にして一方には知事もう一方には町長という構成で撮りました。
そのあと私はこう思いました。
「いい体験ができた」とその後私には物凄い自信がつきました。
それでいろいろなことに挑戦しました。
そして更にこういう貴重な体験をしました。
なんと棚倉出身のパラリンピック競技の伴走者をやっている菊池日出子さんが棚倉中学校へ講演をするという情報を耳にした時に「格言をあげよう」と思いその体育館で講演してる時に質問コーナーがありその時にプレゼントしました。
プレゼントした時こう言いました。
「棚倉中学校の誇りとして頑張ってください」
と言いました。
その時袋に入っていたのは菊池日出子さんの
似顔絵と格言三枚入っていました。
私はその後こう思いました。
「歯車にはそれぞれ役割があって合うものと合わないものとあるから美しい」と思ったのです。
「今の私はすごく何年か前に比べて変わったな」とか「障害は才能」と思いました。
あとは親の存在が大きいです。
親が救ってくれたのも大きいです。
私がネガティブな時に私を救ってくれました。
あと障害がコンプレックスの時もこういってくれました。
「障害も一つの個性」と何度も教えてくれました。
あと過去のこともこう言ってくれました。
「過去のことを見ても何も変わらない、前を見なきゃ」と言ってくれました。
その他にも色々な出会いがありました。
その過程で思ったことが一つあります。
「やはり変わるか変わらないか決めるのは自分だなあ」と思いました。
最後に私にも今もこれからも不安や葛藤があります。
だからめげないで生きてください。
最後にこの言葉を残します。
「あなたはこのままでいい」です。